アタシは役者だ。
そのアタシが突然こんなことを言うのは可笑しいだろう。
本当に唐突だけど、確かにそう思うんだ。
明らかに変化があったのは春先のこと。
いや、もう晩春とでも言おうか。
舞台に向けて芝居に取り組んでいた。
自分にとって3年振りの舞台。
演劇から離れていたわけじゃないけど出演は久しぶりだ。
もちろん、勘が鈍っていたこともあるだろう。
突然、「演技」がわからなくなった。
今まで一度もなかったのに、舞台の板の上で真っ白になり、
役から抜けてしまう。
いや、そもそも役に成れてなど居ない状態。
だから馬鹿みたいに出待ちの袖で緊張する。
直前まで台本を手放すことが出来なくなった。
こんなことは初めてだった。
原因はいくつかあった。
それらが起因していることは間違いないが、
芝居に集中出来なくなった自分に愕然とした。
怖かった。
それはもう、普通に立っては居られないほどに。
自分を失ったようで、もう戻れないとさえ思った。
舞台を一本終えても、なかなか状況は好転しないまま
次のお芝居の稽古が始まる。
焦る気持ちのまま、今までを振り返った。
アタシはどうやって芝居を、演技をしてきたのか。
役者ってみんなそれぞれ、自分なりの哲学というか
方法論というか、そういうものを持っていると思うし、
自分だってメソッド畑の人間だ。
まあ今更、役作りの方法など詳しく書くつもりはないけども。
でもふと、思い当たる。
セリフをセリフとして考えたことって無かったんじゃないかと。
芝居を始めた頃は必死で暗記して、反芻して声に出したセリフ。
近年ではその作業をしたことなど無かった様に思う。
あたしにとってセリフは「湧き上がってくる」ものだった。
活字のセリフを喋ってでも出来る芝居もあるのかもしれない。
実際、そういった場面にはよく出くわす。
しかし幸か不幸か、アタシにはそれが出来ない。
国語の授業中に教科書を音読するより酷いことになる。
そして思う。
「そうか、芝居なんて出来ないんだ」
ならば、本来のスタイルに立ち還るためにも
やれることはひとつしかないんだ、と。
結局、結論は出てるんだよ。
時間は掛かるかもしれない。
使い古された表現かもしれない。
でも、成るんだ。そして生きるんだ。
***NOZOMI***